「過ぎたる」が押し寄せて来る
過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉はご存知ですか?
早い話がやり過ぎはやらないのと同じくらいアカンよということです。
5月26日の某所、倹約生活もひとまず休憩として食べたかったものを食べやりたかったことをして満足していたところ最後に更にもうひと満足と久し振りにスタバの新作である苺のフラペチーノ飲んだ時のことです。
めっっっちゃ胃にもたれる……
これです。
明らかに、加齢と節約生活による贅沢許容値の減少が原因でした。
なんというか、色々とショックでした。
贅沢ができない身体になってしまったという落胆と、いわゆるところの身の程が落ちてきているなと身体全体で実感してしまったからです。
学生の時分にはスタバに新作が出るたびに飲みに行くような時期がありましたがその時は余裕でラーメンと炒飯を食いその足で通っていました。
ですが今やこの始末。
そう、「過ぎたる」の天井がドンドンと低くなってきているのです。
自分では過ぎているという自覚のない、心は学生ピュアボーイの自分のままなのにです。
最近、肉の炒め物よりほうれん草のおひたしが美味しく感じられるようになりました。
ほぐし身の茶漬けが最高に美味しく感じられるようになりました。
もちろんそれらの貴賎優劣を問うつもりはありませんが、少なくとも今までの自分の中にあったはずの優劣が音を立てて崩れていくのを感じています。
なるほどこれが老いかと感じた自分と、自分の満足の幅が狭くなることを嘆くのではなくより満足を得る機会が近くなったのだと感謝する方が良さそうだなと感じた今日この頃でした。